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応援してほしいこと

釜揚げうどん団平の店主、塩田賢一です。

子供からお年寄りまで幅広い世代が利用してくれるお店です。観光客のニーズにも応えながら、気仙沼の魅力を伝える一つの発信源になりたい。気仙沼をもっともっと盛り上げていきます!

これまでの10年

生まれ育った気仙沼で三陸の食材を使ったうどんを広めたいと、平成6年に創業。

鹿折に店舗を移転して間もなくの2011年。東日本大震災による津波と火災に遭い、お店を失ってしまいます。

お店があった鹿折エリアは、気仙沼市内でも最も被害が大きかった地区。津波に流された瓦礫の中からお店の暖簾と木の看板を見つけた塩田さんは団平の再建を誓います。

「気仙沼市内だけじゃなく、一関、仙台、岩手、秋田…いろんなところから(ここでお店をやりませんかと)声がかかったけど、全部断った。震災後、ボランティア活動から炊き出しからずっとやってきて、「鹿折で」「ここで」再建したいと思った。だから大変な目に遭ったんだけど(笑)。」

自分の店だけ再建すればいいとは思えなかった塩田さんは、2012年、同じ境遇の人たちに声をかけ仮設商店街「鹿折復興マルシェ」を立ち上げます。

仮設商店街での営業を続けながら、まちの復興に尽力する塩田さん。塩田さんを慕って、ボランティア、支援企業、著名人…多くの人が気仙沼を訪れます。

また、震災での経験を「語り部」として語り継ぐ活動も続けています。

「沖縄、鳥取、神戸、香港、アトランタ…いろんなところで話したね。震災が起きた当時気仙沼にいた人の中でも、避難していて津波そのものを見ていない人もいる。見た人は半分くらいじゃないかな。ましてや俺は津波をかぶっている。そのあとの経緯をすべて、自分の経験として話せる。聞きたい人がいたら、いくらでも話すよ。」

2011年8月から、LIGHT UP NIPPONプロジェクト気仙沼現地スタッフとして、気仙沼市内各所で花火の打ち上げを毎年開催。申請書類の作成や当日の警備など、塩田さんはボランティアで走り回ってきました。

新型コロナウイルス感染拡大の前は、炊き出しや、老人ホームでうどんを打つ慰問活動も。

やれることは全て全力で。震災後からこれまで、塩田さんは駆け抜けてきました。

「本になるくらいのことはやったね(笑)たくさんの出会いがあって、いろんな人と繋がったね。」

これからの10年

2019年12月、鹿折地区で念願の本設店舗の営業を再開。オープンして間もなく2年を迎えます。

塩田さんは、気仙沼の復活はまだまだこれからだと考えています。

「新たな鹿折ができてくるが、鹿折だ唐桑だ松岩だ面瀬だ、それぞれ地区はあるが、「気仙沼」のまちを復活させたい。気仙沼全体で盛り上がっていかないと。」

店舗を再開してすぐ、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けました。そんな中でも、三陸道全線開通や、連続テレビ小説「おかえりモネ」の放送など、いいニュースもあった気仙沼。団平は、ソフトクリームの提供を開始したり、テラスの活用に着手するなど、着々と進化中です。

「お店の前が三陸道開通後大島への主要道路になることはわかっていたから、構想を練ってきたことの実現に向けて動いている。コロナで足踏みしてる部分もあるけど、なにかやろう!となった時に道具が足りなかったら嫌だから。今から先々に照準合わせて準備しておくつもりだよ。これまで考えてきたことが実現できるように、ひとつひとつね。」

応援してくれる人へのメッセージ

「津波がなかったら、ただのうどん屋のオヤジ。ま、いまもうどん屋のオヤジだけど(笑)。間一髪で助かったから今がある。もしあの経験が無かったらまた違う人生だったな。」と語る塩田さん。

「これからも、みなさんが帰ってこられる場所として、お店を続けながら、気仙沼を盛り上げていきたい。頑張りますので、どうか応援よろしくお願いいたします。」

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応援してほしいこと

 写真�@
気仙沼を中心とした全国の中高生が、自らの興味関心や課題意識に沿って、少しずつアクションを起こしていくことで、豊かな未来を見つけていってほしい、そんな思いをこめて日々活動しています。
気仙沼の学校での「探究活動」や、地域の中の「マイプロジェクト」を楽しく実践していく中高生が一人でも増えて行くように、全力でサポートをしていますので、是非活動を応援してください!

これからの10年

 中高生に、楽しく生きている大人の背中を見せようと必死になるあまり、スタッフの好奇心と探究心が10年で倍々ゲームのように上がってきています。
これから先、どのような活動を展開していくのか、正直スタッフ自身も予想があまりできていません(笑)ただ確実なのは、「底上げ」という組織は、常に“誰かの何かやりたい”という気持ちに寄り添い実現していくためのものであるということです。
人や手法が変わっても、楽しみながら豊かさを探究していきたいと思います

これまでの10年

NPO法人底上げは2011年に気仙沼にボランティアに来た矢部と斉藤が、同じく気仙沼でボランティアをしていた成宮と出会った事がきっかけで震災後に設立しました。
「私たちも気仙沼のために何かしたいんです!」という2012年に出会った高校生の声から始まり、そんな思いを形にしていくお手伝いをこれまでずっと続けてきました。

 動く理由は人それぞれ、中高生のふとした変化の瞬間に立ち会いたくて、関わり方を変えながらも、気づけば10年経ってました。
決して、関わった中高生が気仙沼にUターンしてほしいと言うつもりはないですが、ここ数年は成長した彼ら彼女らと一緒に仕事ができていることに幸せを感じています。

応援してくれる人へのメッセージ

思いと勢いしかない私たちの活動を応援していただけることは本当に喜びです!
ただ、正直なところをお伝えすると、本当に嬉しいのは「応援してくれる方」が増えることよりも「一緒に行動してくれる仲間」が世界中に広がっていくことです。
もし、私たちの思いや活動に共感してくださったのであれば、ぜひ周りの人や、身近な環境が今より少しでも豊かになるように、小さなアクションを起こしてみてください。
豊かな人生のあり方を、ぜひこれからも一緒に探していきましょう!

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応援してほしいこと

 写真①
気仙沼を中心とした全国の中高生が、自らの興味関心や課題意識に沿って、少しずつアクションを起こしていくことで、豊かな未来を見つけていってほしい、そんな思いをこめて日々活動しています。
気仙沼の学校での「探究活動」や、地域の中の「マイプロジェクト」を楽しく実践していく中高生が一人でも増えて行くように、全力でサポートをしていますので、是非活動を応援してください!

これからの10年

 中高生に、楽しく生きている大人の背中を見せようと必死になるあまり、スタッフの好奇心と探究心が10年で倍々ゲームのように上がってきています。
これから先、どのような活動を展開していくのか、正直スタッフ自身も予想があまりできていません(笑)ただ確実なのは、「底上げ」という組織は、常に“誰かの何かやりたい”という気持ちに寄り添い実現していくためのものであるということです。
人や手法が変わっても、楽しみながら豊かさを探究していきたいと思います

これまでの10年

NPO法人底上げは2011年に気仙沼にボランティアに来た矢部と斉藤が、同じく気仙沼でボランティアをしていた成宮と出会った事がきっかけで震災後に設立しました。
「私たちも気仙沼のために何かしたいんです!」という2012年に出会った高校生の声から始まり、そんな思いを形にしていくお手伝いをこれまでずっと続けてきました。

 動く理由は人それぞれ、中高生のふとした変化の瞬間に立ち会いたくて、関わり方を変えながらも、気づけば10年経ってました。
決して、関わった中高生が気仙沼にUターンしてほしいと言うつもりはないですが、ここ数年は成長した彼ら彼女らと一緒に仕事ができていることに幸せを感じています。

応援してくれる人へのメッセージ

思いと勢いしかない私たちの活動を応援していただけることは本当に喜びです!
ただ、正直なところをお伝えすると、本当に嬉しいのは「応援してくれる方」が増えることよりも「一緒に行動してくれる仲間」が世界中に広がっていくことです。
もし、私たちの思いや活動に共感してくださったのであれば、ぜひ周りの人や、身近な環境が今より少しでも豊かになるように、小さなアクションを起こしてみてください。
豊かな人生のあり方を、ぜひこれからも一緒に探していきましょう!

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応援してほしいこと

 私たちは気仙沼の中学生や高校生の伴走者(ガイドランナー)をやっています。

 気仙沼では、地元の中高生の多くが「探究学習」に取り組みはじめています。

 探究学習とは、教師が出す問いに学生が答えるという形ではなく、学生自らが問いを立てて、取り組み、深めていく、という学習です。

 特に地域課題をテーマにすることで、地域に飛び出し課題解決型のプロジェクトを企画、実践する中高生が急増しています。

防災について、海洋ごみ問題について、ジェンダーマイノリティについて、空き家問題について、などなど…テーマは十人十色。

 

 私たちは学校と地域を行き来しながら、そんな中高生一人ひとりを丁寧に応援しています。

 一つひとつのプロジェクトのインパクトは小さいですが、地域の大人たちと一緒に挑戦した経験は一人ひとりの原体験となり、荒波を越えて自由に生きていく力を育みます。

これまでの10年

 東日本大震災後の世界を見て育った気仙沼の高校生たちにインタビューをして、この10年を総括してもらいました。

 すると「更地に新しい建物がどんどん建つ」「外から新しい風が吹いて移住者と地元の大人たちが楽しそうにまちづくりに取り組んでいる」「早く私も大人になって参加したい」というとてもポジティブな意見が目立ちました。

 震災前の記憶がほぼない彼らにとって、復興のイメージは「マイナスからの回復」ではなく「ゼロからの創造」だったのです。そしてこの10年間チャレンジし続けた気仙沼の大人たちの背中をしっかり見ていたのです。

 確実に次の時代の芽は育っています。その証拠に、2020年コロナ禍に突入しても、中高生のチャレンジは止みませんでした。オンラインを駆使して、学校から地域へ飛び出しました。2021年に入ってもプロジェクトを立ち上げる高校生は増え続けています。

 一方、地域に飛び出す中高生をボランタリーにサポートしてきた私たち伴走者の財源は、大震災から10年間の復興期を終え、大きく縮小しました。

 私たちは復興財源に依存しないため、ご寄付という形で応援してくれる仲間集めを始めました。

これからの10年

 これから私たちが応援してくれる仲間と起こしたいことは、気仙沼で「学びのクラスター」を仕掛けることです。

 気仙沼は日本有数の水産クラスター都市と称されます。水産に関連する地元の業種が「房(ふさ)=クラスター」のように連なっているからです。漁業を頂点に、造船、鉄工、氷屋、箱屋、様々な加工、流通…と。それ故に、みんなまちのことが自分ごとで、一つひとつの企業がライバルであり、大切なチームでもあります

 そんな大人がたくさんいるまちだからこそ、次世代に向けた「学びのクラスター」を起こせると信じています。

 教室で受動的に流し込まれる学びではなく、地域で主体的に生み出す学びは、高校生から中学生へ、教師へ、保護者へ、地域の大人へ、そしてまた他の中高生へと伝播していきます。

 これからは、中高生一人ひとりのチャレンジを丁寧に応援するだけではなく、その挑戦が伝播していくように地域内外への発信事業にも注力していきます。

 応援してくれる仲間の皆さんに逐一中高生のチャレンジを報告しますね。

応援してくれる人へのメッセージ

 防災の大切さを風化させたくないと、小学生に紙芝居で伝える高校生。

 異文化への偏見をなくそうと、外国人実習生とスポーツ大会を開く高校生。

 海に漂うプラスチックごみを回収する装置を自作する中学生。

 地区の公民館で老人クラブとコラボして昔遊び体験会を企画する中学生。

 これらは全て中高生が学校で自らテーマを立て、地域で実践したプロジェクトたちです。

 大震災から10年、パンデミックや気候危機に瀕している今、気仙沼の中高生が動き出しました。

 彼ら一人ひとりの人生のために、そして長い目で見て気仙沼のために、私たちは伴走を続けます。

 気仙沼から日本の未来を変える「学びのクラスター」を起こしていく応援をよろしくお願いします。

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応援してほしいこと

 私たちは気仙沼の中学生や高校生の伴走者(ガイドランナー)をやっています。

 気仙沼では、地元の中高生の多くが「探究学習」に取り組みはじめています。

 探究学習とは、教師が出す問いに学生が答えるという形ではなく、学生自らが問いを立てて、取り組み、深めていく、という学習です。

 特に地域課題をテーマにすることで、地域に飛び出し課題解決型のプロジェクトを企画、実践する中高生が急増しています。

防災について、海洋ごみ問題について、ジェンダーマイノリティについて、空き家問題について、などなど…テーマは十人十色。

 

 私たちは学校と地域を行き来しながら、そんな中高生一人ひとりを丁寧に応援しています。

 一つひとつのプロジェクトのインパクトは小さいですが、地域の大人たちと一緒に挑戦した経験は一人ひとりの原体験となり、荒波を越えて自由に生きていく力を育みます。

これまでの10年

 東日本大震災後の世界を見て育った気仙沼の高校生たちにインタビューをして、この10年を総括してもらいました。

 すると「更地に新しい建物がどんどん建つ」「外から新しい風が吹いて移住者と地元の大人たちが楽しそうにまちづくりに取り組んでいる」「早く私も大人になって参加したい」というとてもポジティブな意見が目立ちました。

 震災前の記憶がほぼない彼らにとって、復興のイメージは「マイナスからの回復」ではなく「ゼロからの創造」だったのです。そしてこの10年間チャレンジし続けた気仙沼の大人たちの背中をしっかり見ていたのです。

 確実に次の時代の芽は育っています。その証拠に、2020年コロナ禍に突入しても、中高生のチャレンジは止みませんでした。オンラインを駆使して、学校から地域へ飛び出しました。2021年に入ってもプロジェクトを立ち上げる高校生は増え続けています。

 一方、地域に飛び出す中高生をボランタリーにサポートしてきた私たち伴走者の財源は、大震災から10年間の復興期を終え、大きく縮小しました。

 私たちは復興財源に依存しないため、ご寄付という形で応援してくれる仲間集めを始めました。

これからの10年

 これから私たちが応援してくれる仲間と起こしたいことは、気仙沼で「学びのクラスター」を仕掛けることです。

 気仙沼は日本有数の水産クラスター都市と称されます。水産に関連する地元の業種が「房(ふさ)=クラスター」のように連なっているからです。漁業を頂点に、造船、鉄工、氷屋、箱屋、様々な加工、流通…と。それ故に、みんなまちのことが自分ごとで、一つひとつの企業がライバルであり、大切なチームでもあります

 そんな大人がたくさんいるまちだからこそ、次世代に向けた「学びのクラスター」を起こせると信じています。

 教室で受動的に流し込まれる学びではなく、地域で主体的に生み出す学びは、高校生から中学生へ、教師へ、保護者へ、地域の大人へ、そしてまた他の中高生へと伝播していきます。

 これからは、中高生一人ひとりのチャレンジを丁寧に応援するだけではなく、その挑戦が伝播していくように地域内外への発信事業にも注力していきます。

 応援してくれる仲間の皆さんに逐一中高生のチャレンジを報告しますね。

応援してくれる人へのメッセージ

 防災の大切さを風化させたくないと、小学生に紙芝居で伝える高校生。

 異文化への偏見をなくそうと、外国人実習生とスポーツ大会を開く高校生。

 海に漂うプラスチックごみを回収する装置を自作する中学生。

 地区の公民館で老人クラブとコラボして昔遊び体験会を企画する中学生。

 これらは全て中高生が学校で自らテーマを立て、地域で実践したプロジェクトたちです。

 大震災から10年、パンデミックや気候危機に瀕している今、気仙沼の中高生が動き出しました。

 彼ら一人ひとりの人生のために、そして長い目で見て気仙沼のために、私たちは伴走を続けます。

 気仙沼から日本の未来を変える「学びのクラスター」を起こしていく応援をよろしくお願いします。

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これまでの10年

出身は、岩手県気仙郡の住田町です。仙台で学生時代、就職を経験したのち、震災前にUターンしました。震災前は、大船渡や遠野の料理屋で働いていました。和食や創作料理、居酒屋など、さまざまなジャンルに携わりましたね。震災の時は、大船渡にいたんです。直接的に店舗が被害を受けたわけではないですが、これまでの街の姿が一変。震災後には、復興バブルで大船渡にも飲食店が続々と増えていく中で「自分には何ができるんだろう」と考えるようになりました。そこで今の社長にお声がけいただき、気仙沼に来てみると、人がやる気に満ちていて。「この街はなにか可能性があるかもしれない」と感じて、3年前に移住しました。

これからの10年

移住は、レストラン「nineone」のオープン立ち上げのタイミングでした。これまでも店舗立ち上げに携わったことはありますが、なにしろ移住したての慣れない環境だったので、もちろんプレッシャーはありました。それでも地域の食材の勉強を始め、新たなメニューを考えながらお皿などの店内備品も調達していく中で、やりがいも感じていましたね。nineoneは、オープンからもうすぐ4年目を迎えます。内湾エリアという立地もあり、地元の方はもちろん、観光客の方にも多くご来店いただいています。提供した料理はどうだったか、作業の合間には客席をよく見ていますね。なるべく他のお店と被らないメニューを味わってほしいと思い、キッチンに立っています。

応援してほしいこと


今の会社は、チャレンジにとても寛容で、背中を押してくれます。今年の夏は、気仙沼が水揚げ量日本一を誇る「カツオ」を使ったカレーを新商品として出しました。実は、秋にも「サンマ」を使った一品を新しくリリースする予定です。いろんな気仙沼の方に意見をもらうことで、アイディアがどんどん広がっていく。「どんな料理に活かせるか?」と考えながら、スーパーで買い物したりもするんです。気仙沼は、食材も豊富で、エリアによって食べ方が異なったりと、面白い街です。牡蠣やメカジキなど、旬の食材はなるべくメニューに取り入れていますが、これまで以上に、もっと地元食材を取り入れていきたいと考えています。そしてnineoneに来るからこそ食べられる「ヒットメニュー」を作りたいですね。

応援してくれる人へのメッセージ

nineoneの目の前には気仙沼湾が広がり、店舗は防潮堤の上に建てられているデザインです。「海と生きる」を掲げるこの街で、日々その姿勢を感じています。作り手である私自身も、ずっと同じようなメニューだけ作っていたら、飽きてしまいます。それはお客様も同じです。だからこそ、前にご来店頂いた時よりも、もっと磨きがかかった料理を提供したい。さらに良い思い出を作ってもらえるよう、この場所で皆様をお待ちしています。

※このプロジェクトはnine oneと気仙沼地域戦略との共同プロジェクトです。

いただいた寄付は気仙沼地域戦略を通じて、nine oneの活動に役立てられます。

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これまでの10年

出身は、岩手県気仙郡の住田町です。仙台で学生時代、就職を経験したのち、震災前にUターンしました。震災前は、大船渡や遠野の料理屋で働いていました。和食や創作料理、居酒屋など、さまざまなジャンルに携わりましたね。震災の時は、大船渡にいたんです。直接的に店舗が被害を受けたわけではないですが、これまでの街の姿が一変。震災後には、復興バブルで大船渡にも飲食店が続々と増えていく中で「自分には何ができるんだろう」と考えるようになりました。そこで今の社長にお声がけいただき、気仙沼に来てみると、人がやる気に満ちていて。「この街はなにか可能性があるかもしれない」と感じて、3年前に移住しました。

これからの10年

移住は、レストラン「nineone」のオープン立ち上げのタイミングでした。これまでも店舗立ち上げに携わったことはありますが、なにしろ移住したての慣れない環境だったので、もちろんプレッシャーはありました。それでも地域の食材の勉強を始め、新たなメニューを考えながらお皿などの店内備品も調達していく中で、やりがいも感じていましたね。nineoneは、オープンからもうすぐ4年目を迎えます。内湾エリアという立地もあり、地元の方はもちろん、観光客の方にも多くご来店いただいています。提供した料理はどうだったか、作業の合間には客席をよく見ていますね。なるべく他のお店と被らないメニューを味わってほしいと思い、キッチンに立っています。

応援してほしいこと


今の会社は、チャレンジにとても寛容で、背中を押してくれます。今年の夏は、気仙沼が水揚げ量日本一を誇る「カツオ」を使ったカレーを新商品として出しました。実は、秋にも「サンマ」を使った一品を新しくリリースする予定です。いろんな気仙沼の方に意見をもらうことで、アイディアがどんどん広がっていく。「どんな料理に活かせるか?」と考えながら、スーパーで買い物したりもするんです。気仙沼は、食材も豊富で、エリアによって食べ方が異なったりと、面白い街です。牡蠣やメカジキなど、旬の食材はなるべくメニューに取り入れていますが、これまで以上に、もっと地元食材を取り入れていきたいと考えています。そしてnineoneに来るからこそ食べられる「ヒットメニュー」を作りたいですね。

応援してくれる人へのメッセージ

nineoneの目の前には気仙沼湾が広がり、店舗は防潮堤の上に建てられているデザインです。「海と生きる」を掲げるこの街で、日々その姿勢を感じています。作り手である私自身も、ずっと同じようなメニューだけ作っていたら、飽きてしまいます。それはお客様も同じです。だからこそ、前にご来店頂いた時よりも、もっと磨きがかかった料理を提供したい。さらに良い思い出を作ってもらえるよう、この場所で皆様をお待ちしています。

※このプロジェクトはnine oneと気仙沼地域戦略との共同プロジェクトです。

いただいた寄付は気仙沼地域戦略を通じて、nine oneの活動に役立てられます。

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これまでの10年

震災の影響で、海の市店の営業ができなくなり、今の場所にお店を借りました。海の市店が再開する2014年頃までは、田中前店1本で営業していました。平日は仕事関係の方が多いですが、土日は観光の方も多くいらっしゃいます。海の市店との大きな違いは、海鮮丼以外にも焼き物メニューがあること、そして夜営業もおこなっていることです。メニューについては、営業スタートから1年ほどは丼ものがメインでした。そこから田中エリアにもいろんな飲食店がオープンしたり、営業を再開したり。他店にも負けないようにと開発したのが、田中前店の看板メニューである「かまとろステーキ」です。気仙沼産のメカジキを使用していて、今では注文の8割がこのステーキですね。

これからの10年

まぐろは、工夫すれば余すことなく食べられます。まぐろの頭であるカブト焼きをはじめ、ほほ肉、かま肉、たまご、尾っぽまで。一度、皮を使ったメニューに挑戦したこともあります。内臓以外の部位なら、すべて扱ったことがありますね。身以外は、普段はスーパーでもなかなか見られない部位なので、直営店だからこそ仕入れられるのが当店の強みです。要予約ですが注文もできますので、お気軽にお問い合わせください。

応援してほしいこと

北かつまぐろ屋で提供しているまぐろは、気仙沼の漁船が、世界の海で獲ってくるまぐろです。お店の食事を通して、お客様みなさんに国産の安全・安心な天然まぐろの良さを知ってほしいですし、同時に日本の遠洋まぐろ漁業をみんなで支えていきたいと考えています。
実は、お店の看板メニュー「かまとろステーキ」は、テイクアウトを受け付けていません。お家で焼き直しなどすると、風味や食感が変わってしまうんです。お店の鉄板で出す熱々の状態が1番美味しく食べられるので、ぜひお店で食べてほしいと思っています。店名の「まぐろ屋」にあるように、まぐろの美味しさを1番引き出せるのは当店だと思っていますし、1番美味しい状態を皆さんに味わってほしいと思います。

応援してくれる人へのメッセージ

たまに「敷居が高く感じる」と言われるのですが、全然そんなことはありません。夜ならお酒も提供しているし、もちろん夜ご飯だけでも大歓迎なので、ぜひ気軽に足を運んでほしいです。ボランティアや仕事で来てくれた方にも、落ち着いたらまたお店に来てほしいと思っています。

※このプロジェクトは北かつまぐろ田中前店と気仙沼地域戦略との共同プロジェクトです。

いただいた寄付は気仙沼地域戦略を通じて、北かつまぐろ田中前店の活動に役立てられます。

【北かつまぐろ田中前店】三千円相当お食事券

これまでの10年

震災の影響で、海の市店の営業ができなくなり、今の場所にお店を借りました。海の市店が再開する2014年頃までは、田中前店1本で営業していました。平日は仕事関係の方が多いですが、土日は観光の方も多くいらっしゃいます。海の市店との大きな違いは、海鮮丼以外にも焼き物メニューがあること、そして夜営業もおこなっていることです。メニューについては、営業スタートから1年ほどは丼ものがメインでした。そこから田中エリアにもいろんな飲食店がオープンしたり、営業を再開したり。他店にも負けないようにと開発したのが、田中前店の看板メニューである「かまとろステーキ」です。気仙沼産のメカジキを使用していて、今では注文の8割がこのステーキですね。

これからの10年

まぐろは、工夫すれば余すことなく食べられます。まぐろの頭であるカブト焼きをはじめ、ほほ肉、かま肉、たまご、尾っぽまで。一度、皮を使ったメニューに挑戦したこともあります。内臓以外の部位なら、すべて扱ったことがありますね。身以外は、普段はスーパーでもなかなか見られない部位なので、直営店だからこそ仕入れられるのが当店の強みです。要予約ですが注文もできますので、お気軽にお問い合わせください。

応援してほしいこと

北かつまぐろ屋で提供しているまぐろは、気仙沼の漁船が、世界の海で獲ってくるまぐろです。お店の食事を通して、お客様みなさんに国産の安全・安心な天然まぐろの良さを知ってほしいですし、同時に日本の遠洋まぐろ漁業をみんなで支えていきたいと考えています。
実は、お店の看板メニュー「かまとろステーキ」は、テイクアウトを受け付けていません。お家で焼き直しなどすると、風味や食感が変わってしまうんです。お店の鉄板で出す熱々の状態が1番美味しく食べられるので、ぜひお店で食べてほしいと思っています。店名の「まぐろ屋」にあるように、まぐろの美味しさを1番引き出せるのは当店だと思っていますし、1番美味しい状態を皆さんに味わってほしいと思います。

応援してくれる人へのメッセージ

たまに「敷居が高く感じる」と言われるのですが、全然そんなことはありません。夜ならお酒も提供しているし、もちろん夜ご飯だけでも大歓迎なので、ぜひ気軽に足を運んでほしいです。ボランティアや仕事で来てくれた方にも、落ち着いたらまたお店に来てほしいと思っています。

※このプロジェクトは北かつまぐろ田中前店と気仙沼地域戦略との共同プロジェクトです。

いただいた寄付は気仙沼地域戦略を通じて、北かつまぐろ田中前店の活動に役立てられます。

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これまでの10年

海の市店は震災前からあり、メインは観光客です。ただ、平日だと地元の方やビジネスマンも多くいらっしゃいます。震災で一時営業をストップしましたが、2014年頃に再開できました。一番人気のメニューは「よくばり丼」。まぐろ、ネギトロ、いくらが一度に味わえる食べ応え満点の丼です。食材の目利きも私が担当していて、どのサクから提供していくか、朝一で状態を確認し、その日に提供するものを決めています。丼は、提供した瞬間から鮮度が下がっていくので、提供したてを食べられるお店でやっぱり味わってほしいですね。

これからの10年

ちなみに、店内には船の名札が掲示してあります。提供しているまぐろはこの9社から仕入れていて、すべて気仙沼の会社です。食材としての「まぐろ」に限らず、獲ってくる漁師さん、漁船を経営する船会社の存在を感じられるのも、気仙沼ならではかもしれませんね。店の前では、遠洋まぐろ延縄漁船の漁の様子を映像で流しています。こんなに大きなまぐろを、船の上に揚げていくんです。体力も使うし、長い船では1年近く航海に出るので、漁師の数も漁獲量も、年々減っているのが現状です。私は、気仙沼の主産業である漁業について、いろんな人に知ってほしいと思っています。知ってもらうために、まずはうちの店でまぐろを食べてもらいたい。知るきっかけの一つが、食事だと思うんです。「美味しい」と味わってもらってから、そこから一歩踏み込んで、漁師さんや、まぐろ漁について知ってもらいたいと思っています。

応援してほしいこと

北かつまぐろ屋では、WEBやSNSでの告知を日々おこなっています。また、毎月27日には「ツナの日」と題して企画を打ったり、気仙沼大島大橋ができたときには「亀山丼」という新たな商品を出したりと、ここ1〜2年は新しいメニュー開発・企画を実施しています。さらには、イベントの中でまぐろの種類を当てる「目利きクイズ」をやったり、10月10日は“まぐろの日”ということで、魚市場にあるクッキングスタジオで料理教室をやったりもしました。日々の暮らしの中で、いろんな人がまぐろに接する・関わる機会が作れたらいいなと思っています。

応援してくれる人へのメッセージ

震災10年を迎える中で、復旧・復興に関わる工事も終わってきており、ここ2〜3年ほどでボランティア関係の方は減ってしまったように感じます。コロナの影響もあり今はなかなか移動ができない状況ですが、落ち着いたらまた気仙沼に遊びにきてもらって、ぜひうちの店で、まぐろを食べてほしいと思っています。

※このプロジェクトは北かつまぐろ海の市店と気仙沼地域戦略との共同プロジェクトです。

いただいた寄付は気仙沼地域戦略を通じて、北かつまぐろ海の市店の活動に役立てられます。