応援してほしいこと
釜揚げうどん団平の店主、塩田賢一です。
子供からお年寄りまで幅広い世代が利用してくれるお店です。観光客のニーズにも応えながら、気仙沼の魅力を伝える一つの発信源になりたい。気仙沼をもっともっと盛り上げていきます!
これまでの10年
生まれ育った気仙沼で三陸の食材を使ったうどんを広めたいと、平成6年に創業。
鹿折に店舗を移転して間もなくの2011年。東日本大震災による津波と火災に遭い、お店を失ってしまいます。
お店があった鹿折エリアは、気仙沼市内でも最も被害が大きかった地区。津波に流された瓦礫の中からお店の暖簾と木の看板を見つけた塩田さんは団平の再建を誓います。
「気仙沼市内だけじゃなく、一関、仙台、岩手、秋田…いろんなところから(ここでお店をやりませんかと)声がかかったけど、全部断った。震災後、ボランティア活動から炊き出しからずっとやってきて、「鹿折で」「ここで」再建したいと思った。だから大変な目に遭ったんだけど(笑)。」
自分の店だけ再建すればいいとは思えなかった塩田さんは、2012年、同じ境遇の人たちに声をかけ仮設商店街「鹿折復興マルシェ」を立ち上げます。
仮設商店街での営業を続けながら、まちの復興に尽力する塩田さん。塩田さんを慕って、ボランティア、支援企業、著名人…多くの人が気仙沼を訪れます。
また、震災での経験を「語り部」として語り継ぐ活動も続けています。
「沖縄、鳥取、神戸、香港、アトランタ…いろんなところで話したね。震災が起きた当時気仙沼にいた人の中でも、避難していて津波そのものを見ていない人もいる。見た人は半分くらいじゃないかな。ましてや俺は津波をかぶっている。そのあとの経緯をすべて、自分の経験として話せる。聞きたい人がいたら、いくらでも話すよ。」
2011年8月から、LIGHT UP NIPPONプロジェクト気仙沼現地スタッフとして、気仙沼市内各所で花火の打ち上げを毎年開催。申請書類の作成や当日の警備など、塩田さんはボランティアで走り回ってきました。
新型コロナウイルス感染拡大の前は、炊き出しや、老人ホームでうどんを打つ慰問活動も。
やれることは全て全力で。震災後からこれまで、塩田さんは駆け抜けてきました。
「本になるくらいのことはやったね(笑)たくさんの出会いがあって、いろんな人と繋がったね。」
これからの10年
2019年12月、鹿折地区で念願の本設店舗の営業を再開。オープンして間もなく2年を迎えます。
塩田さんは、気仙沼の復活はまだまだこれからだと考えています。
「新たな鹿折ができてくるが、鹿折だ唐桑だ松岩だ面瀬だ、それぞれ地区はあるが、「気仙沼」のまちを復活させたい。気仙沼全体で盛り上がっていかないと。」
店舗を再開してすぐ、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けました。そんな中でも、三陸道全線開通や、連続テレビ小説「おかえりモネ」の放送など、いいニュースもあった気仙沼。団平は、ソフトクリームの提供を開始したり、テラスの活用に着手するなど、着々と進化中です。
「お店の前が三陸道開通後大島への主要道路になることはわかっていたから、構想を練ってきたことの実現に向けて動いている。コロナで足踏みしてる部分もあるけど、なにかやろう!となった時に道具が足りなかったら嫌だから。今から先々に照準合わせて準備しておくつもりだよ。これまで考えてきたことが実現できるように、ひとつひとつね。」
応援してくれる人へのメッセージ
「津波がなかったら、ただのうどん屋のオヤジ。ま、いまもうどん屋のオヤジだけど(笑)。間一髪で助かったから今がある。もしあの経験が無かったらまた違う人生だったな。」と語る塩田さん。
「これからも、みなさんが帰ってこられる場所として、お店を続けながら、気仙沼を盛り上げていきたい。頑張りますので、どうか応援よろしくお願いいたします。」