気仙沼とつながるあなたへ。寄付で街を応援!

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KESENNUMA Crewship(クルーシップ)とは、街を船になぞらえ、
気仙沼とつながる人みんなをを乗組員(クルー)として迎える、新しい「市民」の考え方です。
クルーカードアプリへの登録で、一緒に未来を航海する乗組員になりませんか。
ひとりひとりが気仙沼と交流し、もっと元気で、もっとおもしろい街に変えていくことになるでしょう。
新たな船出にぜひ乗り込んでください。

クルーシップアプリで、気仙沼をもっと楽しく、もっと便利に!

■気仙沼の最新情報をキャッチ
新しい「お知らせ」や「おすすめ情報」など、気仙沼の旬な情報をお届けします。
■観光スポットやイベントが探せる
気仙沼の観光スポットやグルメ情報、おすすめのモデルコース、旬のイベント、お得なキャンペーン情報などが充実しています。
■おすすめのお店へすぐ行ける
気仙沼ならではのおすすめのお店を紹介しています。現在地からクルーカード加盟店130店舗を探せて、ナビ機能で簡単便利に目的の場所まで行けます。
■お店や施設で使えるポイント機能
ダウンロードして会員登録すると、お店や施設での特典が受けられたり、お買い物でポイントを貯めたり使ったりできます。
ポイントは130店の加盟店で使えます。(1ポイント=1円)
ポイントは使わずに失効しても、全額気仙沼に寄付される仕組みです。
■お得で便利なクーポン機能
加盟店で使えるお得で便利な様々なクーポンをご利用いただけます。

▼アプリダウンロードはこちらから
https://crewship.net/crewcard-app/

▼気仙沼クルーカードについて詳しくはこちらをご覧ください。
https://crewship.net/about/

注意事項

寄附申し込みいただいた方には、クルーシップ事務局よりメールをお送りいたします。寄附申込時、必ず連絡のとれるメールアドレスをご記入ください。
info@crewship.com からのメールを受信できるように設定をお願いします。 

寄附申込時に、クルーNo.をお知らせください。55224-0000-00000(14桁数字)
アプリを起動 → 右下のクルーカードアイコンをタップ → カード画面を表示

以下の項目をご確認の上、寄附をお申し込みください。

1. クルークーポンのご利用には、スマートフォンまたはタブレットへ気仙沼クルーカードアプリのダウンロード、会員登録(無料)が必要です。
2. クルークーポンの利用対象となるのは、気仙沼クルーシップ加盟店のうち飲食・物販・宿泊に分類される店舗・施設です。
3. クルークーポンの有効期限は、利用者に付与日から2年間とします。クルークーポンは、有効期限が経過した後、失効します。
4. クルークーポンの利用は、利用者本人に限り、他人に譲渡することはできません。

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KESENNUMA Crewship(クルーシップ)とは、街を船になぞらえ、
気仙沼とつながる人みんなをを乗組員(クルー)として迎える、新しい「市民」の考え方です。
クルーカードアプリへの登録で、一緒に未来を航海する乗組員になりませんか。
ひとりひとりが気仙沼と交流し、もっと元気で、もっとおもしろい街に変えていくことになるでしょう。
新たな船出にぜひ乗り込んでください。

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■お店や施設で使えるポイント機能
ダウンロードして会員登録すると、お店や施設での特典が受けられたり、お買い物でポイントを貯めたり使ったりできます。
ポイントは130店の加盟店で使えます。(1ポイント=1円)
ポイントは使わずに失効しても、全額気仙沼に寄付される仕組みです。
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注意事項

寄附申し込みいただいた方には、クルーシップ事務局よりメールをお送りいたします。寄附申込時、必ず連絡のとれるメールアドレスをご記入ください。
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寄附申込時に、クルーNo.をお知らせください。55224-0000-00000(14桁数字)
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以下の項目をご確認の上、寄附をお申し込みください。

1. クルークーポンのご利用には、スマートフォンまたはタブレットへ気仙沼クルーカードアプリのダウンロード、会員登録(無料)が必要です。
2. クルークーポンの利用対象となるのは、気仙沼クルーシップ加盟店のうち飲食・物販・宿泊に分類される店舗・施設です。
3. クルークーポンの有効期限は、利用者に付与日から2年間とします。クルークーポンは、有効期限が経過した後、失効します。
4. クルークーポンの利用は、利用者本人に限り、他人に譲渡することはできません。

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応援してほしいこと

釜揚げうどん団平の店主、塩田賢一です。

子供からお年寄りまで幅広い世代が利用してくれるお店です。観光客のニーズにも応えながら、気仙沼の魅力を伝える一つの発信源になりたい。気仙沼をもっともっと盛り上げていきます!

これまでの10年

生まれ育った気仙沼で三陸の食材を使ったうどんを広めたいと、平成6年に創業。

鹿折に店舗を移転して間もなくの2011年。東日本大震災による津波と火災に遭い、お店を失ってしまいます。

お店があった鹿折エリアは、気仙沼市内でも最も被害が大きかった地区。津波に流された瓦礫の中からお店の暖簾と木の看板を見つけた塩田さんは団平の再建を誓います。

「気仙沼市内だけじゃなく、一関、仙台、岩手、秋田…いろんなところから(ここでお店をやりませんかと)声がかかったけど、全部断った。震災後、ボランティア活動から炊き出しからずっとやってきて、「鹿折で」「ここで」再建したいと思った。だから大変な目に遭ったんだけど(笑)。」

自分の店だけ再建すればいいとは思えなかった塩田さんは、2012年、同じ境遇の人たちに声をかけ仮設商店街「鹿折復興マルシェ」を立ち上げます。

仮設商店街での営業を続けながら、まちの復興に尽力する塩田さん。塩田さんを慕って、ボランティア、支援企業、著名人…多くの人が気仙沼を訪れます。

また、震災での経験を「語り部」として語り継ぐ活動も続けています。

「沖縄、鳥取、神戸、香港、アトランタ…いろんなところで話したね。震災が起きた当時気仙沼にいた人の中でも、避難していて津波そのものを見ていない人もいる。見た人は半分くらいじゃないかな。ましてや俺は津波をかぶっている。そのあとの経緯をすべて、自分の経験として話せる。聞きたい人がいたら、いくらでも話すよ。」

2011年8月から、LIGHT UP NIPPONプロジェクト気仙沼現地スタッフとして、気仙沼市内各所で花火の打ち上げを毎年開催。申請書類の作成や当日の警備など、塩田さんはボランティアで走り回ってきました。

新型コロナウイルス感染拡大の前は、炊き出しや、老人ホームでうどんを打つ慰問活動も。

やれることは全て全力で。震災後からこれまで、塩田さんは駆け抜けてきました。

「本になるくらいのことはやったね(笑)たくさんの出会いがあって、いろんな人と繋がったね。」

これからの10年

2019年12月、鹿折地区で念願の本設店舗の営業を再開。オープンして間もなく2年を迎えます。

塩田さんは、気仙沼の復活はまだまだこれからだと考えています。

「新たな鹿折ができてくるが、鹿折だ唐桑だ松岩だ面瀬だ、それぞれ地区はあるが、「気仙沼」のまちを復活させたい。気仙沼全体で盛り上がっていかないと。」

店舗を再開してすぐ、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けました。そんな中でも、三陸道全線開通や、連続テレビ小説「おかえりモネ」の放送など、いいニュースもあった気仙沼。団平は、ソフトクリームの提供を開始したり、テラスの活用に着手するなど、着々と進化中です。

「お店の前が三陸道開通後大島への主要道路になることはわかっていたから、構想を練ってきたことの実現に向けて動いている。コロナで足踏みしてる部分もあるけど、なにかやろう!となった時に道具が足りなかったら嫌だから。今から先々に照準合わせて準備しておくつもりだよ。これまで考えてきたことが実現できるように、ひとつひとつね。」

応援してくれる人へのメッセージ

「津波がなかったら、ただのうどん屋のオヤジ。ま、いまもうどん屋のオヤジだけど(笑)。間一髪で助かったから今がある。もしあの経験が無かったらまた違う人生だったな。」と語る塩田さん。

「これからも、みなさんが帰ってこられる場所として、お店を続けながら、気仙沼を盛り上げていきたい。頑張りますので、どうか応援よろしくお願いいたします。」

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応援してほしいこと

 私たちは気仙沼の中学生や高校生の伴走者(ガイドランナー)をやっています。

 気仙沼では、地元の中高生の多くが「探究学習」に取り組みはじめています。

 探究学習とは、教師が出す問いに学生が答えるという形ではなく、学生自らが問いを立てて、取り組み、深めていく、という学習です。

 特に地域課題をテーマにすることで、地域に飛び出し課題解決型のプロジェクトを企画、実践する中高生が急増しています。

防災について、海洋ごみ問題について、ジェンダーマイノリティについて、空き家問題について、などなど…テーマは十人十色。

 

 私たちは学校と地域を行き来しながら、そんな中高生一人ひとりを丁寧に応援しています。

 一つひとつのプロジェクトのインパクトは小さいですが、地域の大人たちと一緒に挑戦した経験は一人ひとりの原体験となり、荒波を越えて自由に生きていく力を育みます。

これまでの10年

 東日本大震災後の世界を見て育った気仙沼の高校生たちにインタビューをして、この10年を総括してもらいました。

 すると「更地に新しい建物がどんどん建つ」「外から新しい風が吹いて移住者と地元の大人たちが楽しそうにまちづくりに取り組んでいる」「早く私も大人になって参加したい」というとてもポジティブな意見が目立ちました。

 震災前の記憶がほぼない彼らにとって、復興のイメージは「マイナスからの回復」ではなく「ゼロからの創造」だったのです。そしてこの10年間チャレンジし続けた気仙沼の大人たちの背中をしっかり見ていたのです。

 確実に次の時代の芽は育っています。その証拠に、2020年コロナ禍に突入しても、中高生のチャレンジは止みませんでした。オンラインを駆使して、学校から地域へ飛び出しました。2021年に入ってもプロジェクトを立ち上げる高校生は増え続けています。

 一方、地域に飛び出す中高生をボランタリーにサポートしてきた私たち伴走者の財源は、大震災から10年間の復興期を終え、大きく縮小しました。

 私たちは復興財源に依存しないため、ご寄付という形で応援してくれる仲間集めを始めました。

これからの10年

 これから私たちが応援してくれる仲間と起こしたいことは、気仙沼で「学びのクラスター」を仕掛けることです。

 気仙沼は日本有数の水産クラスター都市と称されます。水産に関連する地元の業種が「房(ふさ)=クラスター」のように連なっているからです。漁業を頂点に、造船、鉄工、氷屋、箱屋、様々な加工、流通…と。それ故に、みんなまちのことが自分ごとで、一つひとつの企業がライバルであり、大切なチームでもあります

 そんな大人がたくさんいるまちだからこそ、次世代に向けた「学びのクラスター」を起こせると信じています。

 教室で受動的に流し込まれる学びではなく、地域で主体的に生み出す学びは、高校生から中学生へ、教師へ、保護者へ、地域の大人へ、そしてまた他の中高生へと伝播していきます。

 これからは、中高生一人ひとりのチャレンジを丁寧に応援するだけではなく、その挑戦が伝播していくように地域内外への発信事業にも注力していきます。

 応援してくれる仲間の皆さんに逐一中高生のチャレンジを報告しますね。

応援してくれる人へのメッセージ

 防災の大切さを風化させたくないと、小学生に紙芝居で伝える高校生。

 異文化への偏見をなくそうと、外国人実習生とスポーツ大会を開く高校生。

 海に漂うプラスチックごみを回収する装置を自作する中学生。

 地区の公民館で老人クラブとコラボして昔遊び体験会を企画する中学生。

 これらは全て中高生が学校で自らテーマを立て、地域で実践したプロジェクトたちです。

 大震災から10年、パンデミックや気候危機に瀕している今、気仙沼の中高生が動き出しました。

 彼ら一人ひとりの人生のために、そして長い目で見て気仙沼のために、私たちは伴走を続けます。

 気仙沼から日本の未来を変える「学びのクラスター」を起こしていく応援をよろしくお願いします。

miyakan-10000

応援してほしいこと

ミヤカンでは、三陸の歴史と伝統に育まれた食文化(スローフード)を受け継ぐべく、恵まれた海の素材を使用し、安全安心を常に心がけ皆さまによろこばれる物作りを行っています。

地域に愛される企業を目指すと共に、「三陸の海から」をテーマに、新鮮な素材を生かした「こだわりの味」を全国の食卓にお届けするのが私たちの願いです。

これからの10年

地元に愛される企業を目指して

今後は「三陸の水産資源が枯渇しないよう、持続可能な製品づくりを行う」ことに取り組んでまいります。すぐに実用化できるかは未知数ですが、海洋管理協議会(MSC)、水産養殖管理協議会(ASC)の加工流通段階(CoC)の認証を取得し、生産者として管理された水産資源を活用することも考えています。

震災後は、地元の小学生を対象にした工場見学を積極的にやってきました。背景には、「地元に貢献したい」という意識だけでなく、長期的な視点で「地元の若者の就職先として魅力的な企業になりたい」との思いがあります。

これまでの10年

創業1942年。

2011年の東日本大震災でミヤカンの工場は壊滅的な被害を受け、操業を一時停止していました。皆様から多くのご支援をいただき、おかげさまで2015年春に再稼働いたしました。

気仙沼漁港は世界三大漁場の一つである三陸沖を操業域とした漁船の水揚げ港で、日本の遠洋漁業の重要拠点となっています。まぐろをはじめ、かつお、さば、さんま、かじき、サメ類など日本有数の水揚げを誇ります。

ミヤカンの工場は気仙沼漁港市場からわずか2kmという有利なロケーションを活かし、気仙沼港で水揚げされた新鮮な魚を自社の仲買人(目利き)が毎日漁港に顔を出し責任を持って買い付け、調達を行います。

気仙沼港水揚げの「びんながまぐろ」、旬の時期に北海道から三陸沖にかけて漁獲され、気仙沼港に水揚げされた「秋刀魚」、「鯖」、「鰯」等、鮮度の良い良質な原料を使用しております。

2017年5月に食品安全規格・FSSC22000を認証取得することができました。

※FSSC22000とは 食品安全認証財団が開発した食品安全規格で、非営利団体・国際食品安全インシアチブ(GFSI)により、食品安全の認証スキームの一つとして承認されたものです。

水・空気・自然豊かな環境に囲まれ、世界基準で安心・安全な食品製造ができる工場では、水揚げされたばかりの魚を新鮮なまま素早く加工し、みなさまにおいしい缶詰をお届けしております。

応援してくれる人へのメッセージ

東日本大震災で工場が全壊してから、工場を再開するまで

「もういちどミヤカンを食べたい」「気仙沼に戻ってきてほしい」

多くの方々が私たちの「再開したい」を支えてくれました。

東北を始め全国のお客さまとおつながり、地元の漁師さんや加工業者さんとのつながり、日本というこの国における温かいつながりも、これまで以上に実感し、くじけそうになるたび勇気をもらいました。

そしてミヤカンの工場は再生し、従業員たちも笑顔で戻ってきました。

こんどは私たちが励ます番になれればと思っています。

※このプロジェクトはミヤカンと気仙沼地域戦略との共同プロジェクトです。

いただいた寄付は気仙沼地域戦略を通じて、ミヤカンの活動に役立てられます。

kanesen-12000

応援してほしいこと

かねせん蒲鉾店は1918年創業。気仙沼で現在2店舗となった老舗蒲鉾店のうちの1店舗です。

地元・気仙沼でしか作れない唯一無二のかまぼこを未来へと繋げたい。

おいしく、栄養価が高く、安心安全な気仙沼産のかまぼこを、もっと気軽に食卓に。

私たちの挑戦は続きます。

これまでの10年

2011年 東日本大震災で魚町の本社、工場すべて被災。大学卒業後、家業に従事していた大悟さんは、家族を連れて埼玉県へ一時避難する。

翌2012年3月、「あれから1年」をテーマにした特番がTVで放送され、それを見た大悟さんは、雷に打たれたような衝撃を受ける。

「自分の知っている人たちが頑張っているのを見て、自分のいる場所ここじゃないんじゃないか。帰って気仙沼のために何かできないか。そう強く思うようになったんです。」

その後気仙沼に戻ってからは、自分のこととして家業のことを考えるようになり、自分の力を全力で尽くしてかねせんのことをやっていこうと思えるようになった。

「(震災前は)今と比べたら何にもしていなかった(笑)。来るお客さんを待って、来たら何かやする。ちゃんと作って出荷するというのはやっていたが、プラスアルファで「生き残っていかなきゃ」とか、「良く変えていこう」というマインドも無かった。そこで、職場内効率化や、顧客リストを作ってリピーターへお歳暮・お中元にDMを送るなど、出来ることから始めていきました。」

2012~2013年は復興応援の人たちの特需があったが、その動きにもかげりが出始める。

2015年夏から気仙沼市が主催する人材育成の取り組み「経営未来塾」の4期に参加。

「いちばん学んだことは、無謀に一歩踏み出すことの大切さ。どうなるかわからんが踏み出さないと切り開けない、そこから世界が変わっていった。あたらにいろんなものが見えるようになった。僕、けっこう守りのスタイルなんですけど(笑)」

2016年、経営未来塾がきっかけとなり、南三陸の老舗蒲鉾店「及善商店」の及川さんと共同で「三陸フィッシュペースト」を創業。お土産品なのに常温で遠くに持っていけないというかまぼこの課題を解決するべく、約1年の開発期間を経て、日本初の常温で保存できるかまぼこ「旅するかまぼこ」を発売。その後、魚と海洋環境にやさしい魚肉ルアー「ぷるかまんシャッド」など、かまぼこの新しい可能性を切り拓く新商品を発信し続けている。


2019年10月 もとあった本社の場所に店舗を再開。

12月には気仙沼地魚を使った揚げたてのかまぼこのおいしさを提供したい、と飲食店「揚げとっと」開店。

しかしその直後、コロナ禍で人の動きとともに旅行・お土産需要が現象、好調だった常温かまぼこ「旅する」シリーズが失速。「揚げとっと」も緊急事態宣言に合わせ休業をくり返すことに。

「いまの僕なら「やめて」って教えてあげるんですけど(笑)。かねせんとしては、行き来ができない分、贈り物「お歳暮・お中元」の需要が上がるんです。だいぶそれには助けられました。ふるさと納税、EC、自社顧客へのDM、そして地元のお得意さまのお中元お歳暮に支えられています。」

これからの10年

「自分の子供たちが仕事をする年齢になったときに、気仙沼ってもう「死んでる」んじゃないかと思ったんです。」

この町をもっと魅力的にして、残るという選択をしたとしても子どもたちが笑顔になれる町をと考えた。かまぼこ屋としても、「まちのかまぼこ屋」なので、自社だけ守っても、かねせんも死んでしまう。町の衰退を少しでも遅くしたい。

「つまるところ、まちのためではなく、俺のためなんですけどね(笑)。俺と家族が食いっぱぐれないため。そのためにはまちをなんとかできないか、と。」

応援してくれる人へのメッセージ

売っているのは「かまぼこ」ですが、お客さん買いに来てくださっているのは「大事な人に喜んでもらえるから」なんです。誰かに感謝の気持ちを伝える、誰かを喜ばせたいって思うときに選んでもらうツールだというのは光栄なこと。そのためにご用命いただける、それはめっちゃ嬉しいんです。

だから、期待に応えることですよね。

それをもっと笑顔にできるようにしていきたいです。かまぼこという食品を通して。

かねせんとしては、伝統、いままで支えてくれていた方々に使ってもらえるように、さらに喜んでもらえるように準備していきたいなと思っています。

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応援してほしいこと

かねせん蒲鉾店は1918年創業。気仙沼で現在2店舗となった老舗蒲鉾店のうちの1店舗です。

地元・気仙沼でしか作れない唯一無二のかまぼこを未来へと繋げたい。

おいしく、栄養価が高く、安心安全な気仙沼産のかまぼこを、もっと気軽に食卓に。

私たちの挑戦は続きます。

これまでの10年

2011年 東日本大震災で魚町の本社、工場すべて被災。大学卒業後、家業に従事していた大悟さんは、家族を連れて埼玉県へ一時避難する。

翌2012年3月、「あれから1年」をテーマにした特番がTVで放送され、それを見た大悟さんは、雷に打たれたような衝撃を受ける。

「自分の知っている人たちが頑張っているのを見て、自分のいる場所ここじゃないんじゃないか。帰って気仙沼のために何かできないか。そう強く思うようになったんです。」

その後気仙沼に戻ってからは、自分のこととして家業のことを考えるようになり、自分の力を全力で尽くしてかねせんのことをやっていこうと思えるようになった。

「(震災前は)今と比べたら何にもしていなかった(笑)。来るお客さんを待って、来たら何かやする。ちゃんと作って出荷するというのはやっていたが、プラスアルファで「生き残っていかなきゃ」とか、「良く変えていこう」というマインドも無かった。そこで、職場内効率化や、顧客リストを作ってリピーターへお歳暮・お中元にDMを送るなど、出来ることから始めていきました。」

2012~2013年は復興応援の人たちの特需があったが、その動きにもかげりが出始める。

2015年夏から気仙沼市が主催する人材育成の取り組み「経営未来塾」の4期に参加。

「いちばん学んだことは、無謀に一歩踏み出すことの大切さ。どうなるかわからんが踏み出さないと切り開けない、そこから世界が変わっていった。あたらにいろんなものが見えるようになった。僕、けっこう守りのスタイルなんですけど(笑)」

2016年、経営未来塾がきっかけとなり、南三陸の老舗蒲鉾店「及善商店」の及川さんと共同で「三陸フィッシュペースト」を創業。お土産品なのに常温で遠くに持っていけないというかまぼこの課題を解決するべく、約1年の開発期間を経て、日本初の常温で保存できるかまぼこ「旅するかまぼこ」を発売。その後、魚と海洋環境にやさしい魚肉ルアー「ぷるかまんシャッド」など、かまぼこの新しい可能性を切り拓く新商品を発信し続けている。


2019年10月 もとあった本社の場所に店舗を再開。

12月には気仙沼地魚を使った揚げたてのかまぼこのおいしさを提供したい、と飲食店「揚げとっと」開店。

しかしその直後、コロナ禍で人の動きとともに旅行・お土産需要が現象、好調だった常温かまぼこ「旅する」シリーズが失速。「揚げとっと」も緊急事態宣言に合わせ休業をくり返すことに。

「いまの僕なら「やめて」って教えてあげるんですけど(笑)。かねせんとしては、行き来ができない分、贈り物「お歳暮・お中元」の需要が上がるんです。だいぶそれには助けられました。ふるさと納税、EC、自社顧客へのDM、そして地元のお得意さまのお中元お歳暮に支えられています。」

これからの10年

「自分の子供たちが仕事をする年齢になったときに、気仙沼ってもう「死んでる」んじゃないかと思ったんです。」

この町をもっと魅力的にして、残るという選択をしたとしても子どもたちが笑顔になれる町をと考えた。かまぼこ屋としても、「まちのかまぼこ屋」なので、自社だけ守っても、かねせんも死んでしまう。町の衰退を少しでも遅くしたい。

「つまるところ、まちのためではなく、俺のためなんですけどね(笑)。俺と家族が食いっぱぐれないため。そのためにはまちをなんとかできないか、と。」

応援してくれる人へのメッセージ

売っているのは「かまぼこ」ですが、お客さん買いに来てくださっているのは「大事な人に喜んでもらえるから」なんです。誰かに感謝の気持ちを伝える、誰かを喜ばせたいって思うときに選んでもらうツールだというのは光栄なこと。そのためにご用命いただける、それはめっちゃ嬉しいんです。

だから、期待に応えることですよね。

それをもっと笑顔にできるようにしていきたいです。かまぼこという食品を通して。

かねせんとしては、伝統、いままで支えてくれていた方々に使ってもらえるように、さらに喜んでもらえるように準備していきたいなと思っています。

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応援してほしいこと

かねせん蒲鉾店は1918年創業。気仙沼で現在2店舗となった老舗蒲鉾店のうちの1店舗です。

地元・気仙沼でしか作れない唯一無二のかまぼこを未来へと繋げたい。

おいしく、栄養価が高く、安心安全な気仙沼産のかまぼこを、もっと気軽に食卓に。

私たちの挑戦は続きます。

これまでの10年

2011年 東日本大震災で魚町の本社、工場すべて被災。大学卒業後、家業に従事していた大悟さんは、家族を連れて埼玉県へ一時避難する。

翌2012年3月、「あれから1年」をテーマにした特番がTVで放送され、それを見た大悟さんは、雷に打たれたような衝撃を受ける。

「自分の知っている人たちが頑張っているのを見て、自分のいる場所ここじゃないんじゃないか。帰って気仙沼のために何かできないか。そう強く思うようになったんです。」

その後気仙沼に戻ってからは、自分のこととして家業のことを考えるようになり、自分の力を全力で尽くしてかねせんのことをやっていこうと思えるようになった。

「(震災前は)今と比べたら何にもしていなかった(笑)。来るお客さんを待って、来たら何かやする。ちゃんと作って出荷するというのはやっていたが、プラスアルファで「生き残っていかなきゃ」とか、「良く変えていこう」というマインドも無かった。そこで、職場内効率化や、顧客リストを作ってリピーターへお歳暮・お中元にDMを送るなど、出来ることから始めていきました。」

2012~2013年は復興応援の人たちの特需があったが、その動きにもかげりが出始める。

2015年夏から気仙沼市が主催する人材育成の取り組み「経営未来塾」の4期に参加。

「いちばん学んだことは、無謀に一歩踏み出すことの大切さ。どうなるかわからんが踏み出さないと切り開けない、そこから世界が変わっていった。あたらにいろんなものが見えるようになった。僕、けっこう守りのスタイルなんですけど(笑)」

2016年、経営未来塾がきっかけとなり、南三陸の老舗蒲鉾店「及善商店」の及川さんと共同で「三陸フィッシュペースト」を創業。お土産品なのに常温で遠くに持っていけないというかまぼこの課題を解決するべく、約1年の開発期間を経て、日本初の常温で保存できるかまぼこ「旅するかまぼこ」を発売。その後、魚と海洋環境にやさしい魚肉ルアー「ぷるかまんシャッド」など、かまぼこの新しい可能性を切り拓く新商品を発信し続けている。


2019年10月 もとあった本社の場所に店舗を再開。

12月には気仙沼地魚を使った揚げたてのかまぼこのおいしさを提供したい、と飲食店「揚げとっと」開店。

しかしその直後、コロナ禍で人の動きとともに旅行・お土産需要が現象、好調だった常温かまぼこ「旅する」シリーズが失速。「揚げとっと」も緊急事態宣言に合わせ休業をくり返すことに。

「いまの僕なら「やめて」って教えてあげるんですけど(笑)。かねせんとしては、行き来ができない分、贈り物「お歳暮・お中元」の需要が上がるんです。だいぶそれには助けられました。ふるさと納税、EC、自社顧客へのDM、そして地元のお得意さまのお中元お歳暮に支えられています。」

これからの10年

「自分の子供たちが仕事をする年齢になったときに、気仙沼ってもう「死んでる」んじゃないかと思ったんです。」

この町をもっと魅力的にして、残るという選択をしたとしても子どもたちが笑顔になれる町をと考えた。かまぼこ屋としても、「まちのかまぼこ屋」なので、自社だけ守っても、かねせんも死んでしまう。町の衰退を少しでも遅くしたい。

「つまるところ、まちのためではなく、俺のためなんですけどね(笑)。俺と家族が食いっぱぐれないため。そのためにはまちをなんとかできないか、と。」

応援してくれる人へのメッセージ

売っているのは「かまぼこ」ですが、お客さん買いに来てくださっているのは「大事な人に喜んでもらえるから」なんです。誰かに感謝の気持ちを伝える、誰かを喜ばせたいって思うときに選んでもらうツールだというのは光栄なこと。そのためにご用命いただける、それはめっちゃ嬉しいんです。

だから、期待に応えることですよね。

それをもっと笑顔にできるようにしていきたいです。かまぼこという食品を通して。

かねせんとしては、伝統、いままで支えてくれていた方々に使ってもらえるように、さらに喜んでもらえるように準備していきたいなと思っています。

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応援してほしいこと

釜揚げうどん団平の店主、塩田賢一です。

子供からお年寄りまで幅広い世代が利用してくれるお店です。観光客のニーズにも応えながら、気仙沼の魅力を伝える一つの発信源になりたい。気仙沼をもっともっと盛り上げていきます!

これまでの10年

生まれ育った気仙沼で三陸の食材を使ったうどんを広めたいと、平成6年に創業。

鹿折に店舗を移転して間もなくの2011年。東日本大震災による津波と火災に遭い、お店を失ってしまいます。

お店があった鹿折エリアは、気仙沼市内でも最も被害が大きかった地区。津波に流された瓦礫の中からお店の暖簾と木の看板を見つけた塩田さんは団平の再建を誓います。

「気仙沼市内だけじゃなく、一関、仙台、岩手、秋田…いろんなところから(ここでお店をやりませんかと)声がかかったけど、全部断った。震災後、ボランティア活動から炊き出しからずっとやってきて、「鹿折で」「ここで」再建したいと思った。だから大変な目に遭ったんだけど(笑)。」

自分の店だけ再建すればいいとは思えなかった塩田さんは、2012年、同じ境遇の人たちに声をかけ仮設商店街「鹿折復興マルシェ」を立ち上げます。

仮設商店街での営業を続けながら、まちの復興に尽力する塩田さん。塩田さんを慕って、ボランティア、支援企業、著名人…多くの人が気仙沼を訪れます。

また、震災での経験を「語り部」として語り継ぐ活動も続けています。

「沖縄、鳥取、神戸、香港、アトランタ…いろんなところで話したね。震災が起きた当時気仙沼にいた人の中でも、避難していて津波そのものを見ていない人もいる。見た人は半分くらいじゃないかな。ましてや俺は津波をかぶっている。そのあとの経緯をすべて、自分の経験として話せる。聞きたい人がいたら、いくらでも話すよ。」

2011年8月から、LIGHT UP NIPPONプロジェクト気仙沼現地スタッフとして、気仙沼市内各所で花火の打ち上げを毎年開催。申請書類の作成や当日の警備など、塩田さんはボランティアで走り回ってきました。

新型コロナウイルス感染拡大の前は、炊き出しや、老人ホームでうどんを打つ慰問活動も。

やれることは全て全力で。震災後からこれまで、塩田さんは駆け抜けてきました。

「本になるくらいのことはやったね(笑)たくさんの出会いがあって、いろんな人と繋がったね。」

これからの10年

2019年12月、鹿折地区で念願の本設店舗の営業を再開。オープンして間もなく2年を迎えます。

塩田さんは、気仙沼の復活はまだまだこれからだと考えています。

「新たな鹿折ができてくるが、鹿折だ唐桑だ松岩だ面瀬だ、それぞれ地区はあるが、「気仙沼」のまちを復活させたい。気仙沼全体で盛り上がっていかないと。」

店舗を再開してすぐ、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けました。そんな中でも、三陸道全線開通や、連続テレビ小説「おかえりモネ」の放送など、いいニュースもあった気仙沼。団平は、ソフトクリームの提供を開始したり、テラスの活用に着手するなど、着々と進化中です。

「お店の前が三陸道開通後大島への主要道路になることはわかっていたから、構想を練ってきたことの実現に向けて動いている。コロナで足踏みしてる部分もあるけど、なにかやろう!となった時に道具が足りなかったら嫌だから。今から先々に照準合わせて準備しておくつもりだよ。これまで考えてきたことが実現できるように、ひとつひとつね。」

応援してくれる人へのメッセージ

「津波がなかったら、ただのうどん屋のオヤジ。ま、いまもうどん屋のオヤジだけど(笑)。間一髪で助かったから今がある。もしあの経験が無かったらまた違う人生だったな。」と語る塩田さん。

「これからも、みなさんが帰ってこられる場所として、お店を続けながら、気仙沼を盛り上げていきたい。頑張りますので、どうか応援よろしくお願いいたします。」

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応援してほしいこと

釜揚げうどん団平の店主、塩田賢一です。

子供からお年寄りまで幅広い世代が利用してくれるお店です。観光客のニーズにも応えながら、気仙沼の魅力を伝える一つの発信源になりたい。気仙沼をもっともっと盛り上げていきます!

これまでの10年

生まれ育った気仙沼で三陸の食材を使ったうどんを広めたいと、平成6年に創業。

鹿折に店舗を移転して間もなくの2011年。東日本大震災による津波と火災に遭い、お店を失ってしまいます。

お店があった鹿折エリアは、気仙沼市内でも最も被害が大きかった地区。津波に流された瓦礫の中からお店の暖簾と木の看板を見つけた塩田さんは団平の再建を誓います。

「気仙沼市内だけじゃなく、一関、仙台、岩手、秋田…いろんなところから(ここでお店をやりませんかと)声がかかったけど、全部断った。震災後、ボランティア活動から炊き出しからずっとやってきて、「鹿折で」「ここで」再建したいと思った。だから大変な目に遭ったんだけど(笑)。」

自分の店だけ再建すればいいとは思えなかった塩田さんは、2012年、同じ境遇の人たちに声をかけ仮設商店街「鹿折復興マルシェ」を立ち上げます。

仮設商店街での営業を続けながら、まちの復興に尽力する塩田さん。塩田さんを慕って、ボランティア、支援企業、著名人…多くの人が気仙沼を訪れます。

また、震災での経験を「語り部」として語り継ぐ活動も続けています。

「沖縄、鳥取、神戸、香港、アトランタ…いろんなところで話したね。震災が起きた当時気仙沼にいた人の中でも、避難していて津波そのものを見ていない人もいる。見た人は半分くらいじゃないかな。ましてや俺は津波をかぶっている。そのあとの経緯をすべて、自分の経験として話せる。聞きたい人がいたら、いくらでも話すよ。」

2011年8月から、LIGHT UP NIPPONプロジェクト気仙沼現地スタッフとして、気仙沼市内各所で花火の打ち上げを毎年開催。申請書類の作成や当日の警備など、塩田さんはボランティアで走り回ってきました。

新型コロナウイルス感染拡大の前は、炊き出しや、老人ホームでうどんを打つ慰問活動も。

やれることは全て全力で。震災後からこれまで、塩田さんは駆け抜けてきました。

「本になるくらいのことはやったね(笑)たくさんの出会いがあって、いろんな人と繋がったね。」

これからの10年

2019年12月、鹿折地区で念願の本設店舗の営業を再開。オープンして間もなく2年を迎えます。

塩田さんは、気仙沼の復活はまだまだこれからだと考えています。

「新たな鹿折ができてくるが、鹿折だ唐桑だ松岩だ面瀬だ、それぞれ地区はあるが、「気仙沼」のまちを復活させたい。気仙沼全体で盛り上がっていかないと。」

店舗を再開してすぐ、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けました。そんな中でも、三陸道全線開通や、連続テレビ小説「おかえりモネ」の放送など、いいニュースもあった気仙沼。団平は、ソフトクリームの提供を開始したり、テラスの活用に着手するなど、着々と進化中です。

「お店の前が三陸道開通後大島への主要道路になることはわかっていたから、構想を練ってきたことの実現に向けて動いている。コロナで足踏みしてる部分もあるけど、なにかやろう!となった時に道具が足りなかったら嫌だから。今から先々に照準合わせて準備しておくつもりだよ。これまで考えてきたことが実現できるように、ひとつひとつね。」

応援してくれる人へのメッセージ

「津波がなかったら、ただのうどん屋のオヤジ。ま、いまもうどん屋のオヤジだけど(笑)。間一髪で助かったから今がある。もしあの経験が無かったらまた違う人生だったな。」と語る塩田さん。

「これからも、みなさんが帰ってこられる場所として、お店を続けながら、気仙沼を盛り上げていきたい。頑張りますので、どうか応援よろしくお願いいたします。」